Sunday, November 1, 2009~
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愛が囁く 向こう側,,, , 今日見た 薔薇と 昨日見た 崩れた薔薇に 戸惑いと確信が入れ交じる,, , 日本コラージュ・2011正月 Part 3 1月24日(月) 〜 29日(土) 11:30〜19:00 土曜日〜17:00 入場無料 出品作家:伊丹祐喜 打墓丸 齋藤高廣 高木洋介 柳川たみ ヨハネ菅谷扶美雄 年が明けてはやひと月が過ぎ去ろうとし 『日本コラージュ 2011』も最終週のPart 3です。 闘うこと。祈ること。捨て去ること。 心とからだの奥深くに降りていくこと・・・ 様々なアクションがもつれあい、制御不能の未来へと 「日本」を押し出していくでしょう。 Gallery K 〒104-0031東京都中央区京橋3-9-7京橋ポイントビル4F Tel/Fax.03-3563-4578 galleryk@nifty.com http://homepage3.nifty.com/galleryk 心とからだの奥深くに降りていくこと・・・ 一瞬の太陽に クチヅケヲ takesea.2011.01.28.TOKYO. 【photograph 広島県広島市中区大手町~東京都中央区京橋3-9-7京橋ポイントビル4F】 ★Music by Infinite Horizons God Is An Astronaut - from2005 Em Spangle call Lilli line-f rom2010
1月27日 AM7:30 平和公園脇のベンチにて 鳥が囀り 光がそそぎ キラキラと 輝いて見えました Death is nothing to us, since when we are, death has not come, and when death has come, we are not. 死は我々にとって何ものでもない。なぜなら我々が存在する時には、 死はまだ訪れていないのであり、死が訪れたときには我々は存在しないのだから。
Epicurus
We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしこの世界に喜びしかなかったら、我々は、 決して勇気も忍耐も学べないことになる。
Helen Keller
One word frees us of all the weight and pain of life; that word is love. 一つの言葉が、我々を心の重荷や苦痛から解放してくれる。その言葉とは、愛である。
Sophocles
~世界にはまだ沢山の色々な残り火がある~ 先週、英会話の先生が正月に 初めてハワイの真珠湾にある いくつかの美術館に 訪れた話を聞きました 今度は真珠湾を見て感じたいと・・・。
Happiness is when what you think, what you say, and what you do are in harmony. 幸福とは、あなたが考えることと、あなたが言うことと、 あなたがすることの調和が取れている状態のことだ。
Mahatma Gandhi
【photograph 広島県広島市中区~安佐北区】
爆心地 広島県広島市中区大手町1-5-25 北緯34度23分41秒 東経132度27分17秒 テニアン島から飛来した米軍機B-29「エノラ・ゲイ」によって 人類史上使用された原子爆弾は この上空560mで炸裂しました 爆心直下になったこの一帯は 約3000度~4000度の熱線と爆風と 放射線を受け ほとんどの人びとは瞬時に生命を奪われました 時に 1945年(昭和20年)8月6日の午前8時15分 のことでした 2011年1月26日 場所は 広島県広島市 約30年前からTVの中の話だった 場所 いつか来たかった 場所 今の仕事を通じてやっと来ることが出来ました HIROSHIMA. まず向かった矛先は ここしかなかった,, , 誰も知らない 2011年1月26日 PM17:30 広島平和記念公園に 人はいない ほぼ誰も居ない 空気は穏やかだ どこからか聴こえる 魂の囀り 一人歩く 向こうから 途方もなく 永遠を歩く人がいる その人は どこへ逝くのだろう いったいどこへ行ってしまうのだろう ここに来たらわかるはずさ でも二度と 帰らない takesea.2011.0126.HIROSHIMA. 【photograph 広島県広島市中区大手町1丁目10】 【Music by Falling into Nothingness /Lost In Timeless Horizons Nyctalgia from20092010】 ★1945年8月6日島病院 B-29爆撃機エノラ・ゲイ号から投下された原子爆弾(リトルボーイ)は、 島病院の南西側上空約600mで炸裂した[。原子爆弾の炸裂によって発生した、 爆風と高熱によって病院は跡形も無く大破・炎上し、80人余の職員と入院患者はほぼ全員が即死した。 しかし薫(院長)付添いの看護婦1人は、前日の8月5日から県下世羅郡甲山町(現在の世羅町)の 知人の病院に出張診療(出張手術)に出かけていたため難を逃れた。 電話連絡により広島市内が壊滅的破壊を受けたことを知り、また救援要請を受けた2人は、 3人の患者のうち1人の手術を終えた後、直ちに広島市に引き返し、その日のうちに入市したが、 激しい炎に遮られ、病院に帰着できたのは翌8月7日の午後であった。 帰着した2人は瓦礫の下から夥しい数の白骨化した遺体を発見、焼け残った器具ケースの中にあった 手術用具のみが島病院の唯一の痕跡であったという。 薫は甲山の知人の病院から持ってきたわずかな救急用医療資材を持って8月6日の夜より、 商工会議所前の広場(島病院より約300m、なお広島商工会議所は現在も同所にある)で 被爆者の救護活動をはじめ、その後、救護所となった袋町国民学校(島病院より約460m、 現在の広島市立袋町小学校)で被爆者の救護活動に従事したという 1948年物資の乏しい中、木造モルタル2階建てで同所に再建された。薫は戦後、 被爆についてあまり語らなかったという。現在の島外科内科名誉院長である島一秀(薫の長男)は 「戦争中の話は母親から間接的に聞くだけだった」と語っている。 なお一秀は原子爆弾投下時、比婆郡西城町(現在の広島県庄原市)に学童疎開しており、難を逃れた 薫(当時院長)は、「私の新しい病院は平和と貧しき者、窮乏したる者を 世話することにささげられている。」という言葉を遺している。